デカチワワと暮らす生活

愛犬デカチワワのマロンと暮らす毎日。色んな場所へ出かけたり遊んだり‥そんな日々を残したいブログ。

89歳の父の介護、今後のこと色々。

こんにちは。

やっと落ち着いたというか、今年に入って急に親の介護で翻弄することになり、ブログも手に付かない状態でした。

同じ敷地内の隣に住む高齢の父

だいぶ昔に、結婚して子供が生まれてしばらくすると、庭に家を建てれば?と母から提案され、その頃はアパートに住んでいたので、子育てをするには狭く、この際だからと勢いで実家の庭に家を建てさせてもらいました。

その年の暮れに母は病気で亡くなりました。

 

 

まるで父の世話を、父がひとりになる未来を見据えてかの様に、突然に・・・。

それから数十年、父のご飯だけ作って持っていく毎日。

うちもご飯は作るし、分けるだけなのでまったく苦ではありませんでした。

外食時や、旅行の時は、父も元気だったので自分で買ってきてもらうか、コンビニの惣菜や出前取ったり。

ただ、何もない土日とかは、夕方には早く帰らなければならない不自由さはありましたが。

九州生まれの父は、家事なんて何もやったことがないのに、それからは一人暮らしになったので、洗濯や掃除、食器の洗い物等も自分でやるようになりました。

85歳がターニングポイント

ずーっとそうやって隣で生活してきましたが、85歳ぐらいから急に体力が落ちてきて(それまではパワフル爺さんで、爺さんって感じもなく、忙しく毎日駆け回っているような人でした)、86歳に人生初の病気、脳梗塞になりました。

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脳梗塞

脳梗塞になった時も、手が麻痺して字は書けない、箸も持てない、鏡を見ると顔の半分が下がってうまく話すことも出来ない。

そんな状態の中、隣にいるわたしに声もかけず、シャワーを浴びてから自転車に乗ってかかりつけの病院へひとりで・・・。

先生からの電話で驚いて迎えに行くと、変わり果てた父の姿が。

その時はショックでした。その姿は忘れられません。喋り方も変で、おかしくなっちゃったかなと恐る恐る救急で紹介された病院に向かいましたが、話す内容もちゃんと全てを把握していたので、脳梗塞で半身麻痺になっても話し方がガラッと変わってしまっても、頭はしっかりしているんだと初めて知りました。

それでも3ヶ月の入院とリハビリの末、元気になり、多少動きは悪くはなったものの、また一人暮らしが始まったのです。

何でも手伝ってしまうと、どんどん動けなくなってしまうので、リハビリを兼ねてなるべ手伝わず自分でやるようにしていました。

高齢者の一人暮らし

ところが、今89歳ですが、だんだん言動が少しボケたかな〜という感じになり、それでも生活は出来ていたのですが、年末ぐらいからトイレのスリッパが外に干してあったりしたので、粗相してしまったのかな?とか、そろそろ一人暮らしも限界が来るかな〜という感じではしていました。

高齢者の致命傷は転んで骨折(ヒビ)

でも今年のお正月も一緒に初詣に近所の神社にお参りもしたのですが、その数日後、夜の11時にトイレに行く途中、部屋で転んで腰を棚に強打したらしいのです。

痛がるので姉が外科に連れて行ってくれたのですが、ヒビが入っているとのこと。

小さいこともあり、コルセットを巻いて湿布をするしかないみたいで、入院にはならずに帰ってきました。

その夜、また夜中に今度は仰向けに倒れたらしく、電話することも出来ず、しばらく倒れたまま動けなかったそうです。

入院も出来ず、一人暮らしの心配もありましたが、うちは犬を飼っていて父を連れてこれないし(父も犬嫌い)、姉はフルタイムで働いているので無理。

ただ日増しに歩くのが大変そうになってきた翌週のこと、足のしもやけでたまに通っている病院に行きたいと。

私ひとりで連れて行くのは無理そうだったので、叔母さんに頼んで一緒に行ってもらいました。

足が相当むくんでいて、足も痛いし腰も痛いし、もう限界かな〜と思い、ケアマネに相談して一人暮らしは危ないので、ショートステイにとりあえず30日間お世話になることにしたのです。

これで安心かと思いきや、翌日に37.6度ぐらいの発熱。

もしや誤嚥性肺炎になったかと?! その頃はもうまったく歩けないぐらい具合も悪く。

翌日には38度を超えたので、インフルエンザかも知れないとショートステイから電話があり、慌てて病院へ。

ひとりで父を抱えて病院に行くのは大変でしたが、病院の車椅子を借りてなんとか診察してもらうと、なんとインフルエンザA型

しかもインフルになったから、ショートステイ先には戻れないので自宅に戻されることに。

そのことをケアマネからの電話で知り、病院の駐車場で父とどうしたらいいか涙が溢れて途方に暮れてしまいました。

ケアマネに泣きつき、どうにかヘルパーさんとかいませんか?と聞くと、インフルエンザなのでどこもお断りとのこと。

このまま父を家に連れて帰っても、ベッドのある部屋まで段差もいっぱいあり、足の上がらない父をどうやって運ぶか、本当にお先真っ暗で・・・。

一瞬で変わる高齢者の生活レベル

その頃はトイレもひとりで行けず、紙パンツを履くようになっていましたが、トイレで粗相をすることも度々あり、潔癖症の私にはどうしたらいいのか考えられないぐらいの不安と恐怖でたちすくむしかありませんでした。

けど車の中で待っている父は、「早く車出してよぉ〜」と呑気な声。その声を聞き、涙が溢れてきました。

そうだ!叔母さんに電話してみよう!とTELすると、一緒に実家に来てくれるというのです。本当にありがたかった。

39度ある父を車に乘せたまま、叔母さんを迎えに行き、ふたりで担いでなんとか実家のベッドへ。

でも一人暮らし。とてもとても無理です。

すると夕方、ケアマネから連絡があり、インフルでも見てくれるホームヘルパーさんが見つかったと。

ただ実費になる部分もあり高いとのこと。

構わないです!!と本当に神の声に聞こえました。

1日3回のホームヘルパーさん

その夜からヘルパーさん2人が1日3回来てくれて、紙パンツの交換や、着替え、食事の世話、薬の管理、洗濯までしてくれました。

私が潔癖で出来ないのも理解してくれて、とても優しくしてくださり、本当に感謝感謝で介護の凄まじさを実感しました。

介護の壮絶な現場

ヘルパーさんは1日に3回。9時、13時、17時に来ますが、昼から夕方まで時間が空いているので、4時頃様子を見に行くと、なんと部屋の鍵が閉まっています。

しかも父が食堂に立っているではないか。(まったく歩くことができない状態だったのに)。

なんで閉めちゃったの?開けて?と窓の外から声をかけると、もう寝るからと立ったまま。

薬も飲まないとならないし、紙パンツの交換もあるだろうし、夕飯も食べてないし、そんな訳にはいかないと玄関から廻って鍵をあけ、室内に入ると、なんと父はもう力尽きて歩くことが出来ずにいて、食堂の壁につかまって立っていたのです。

驚いて支えると、ズボンにウンチが数か所付いていました。

とにかくベッドまでと手を取りましたが、まったく足が動かず、それよりも立っていることすら辛くて無理のようで、どんどん足が開いていってしまうのです。

父も男の人なので、到底私の力では支えることが出来ず、じゃあ床に座っちゃおう!と助言したのですが、それすら出来ず(多分お尻の汚れが気になったのかも?!)、じゃあ手をついて膝を付いてハイハイして行こうと、ゆっくりとなんとかひざまずかせ、ハイハイさせることに。

数センチずつゆっくりゆっくりハイハイするも、父も腰のヒビとインフルエンザで激痛なのか、少し進んではうずくまって泣いたりして、床も汚れているし、壮絶な父の姿にショックを超えて涙が出てきました。

30分ぐらい格闘していましたが、ほとんど進まない状態に時計を見ると、そろそろヘルパーさんが来る時間だ!と思い、ハイハイの父にちょっと待っててと声をかけ、玄関から出てみると、ちょうどヘルパーさんが自転車で来たところ。

父が大変なんです!!ズボンも汚れてますと伝えると、そしたらもう一人応援を呼びます!!と連携を取ってくれ、完全防備の姿で10分後ぐらいに手伝ってもらいました。

全身ビニールのエプロンに包まれ、足にもビニールで出来たスリッパ。

その後はもう私は見ることも出来ず、こびりついてるらしい汚れを、いらないタオルを用意して何度も何度も拭いて、どうにかこうにかベッドへ。

ヘルパーさん二人でも父をベッドに仰向けにさせることが出来ずにいたので、私一人では到底無理でした。

しかし最終は17時。翌朝は9時。間隔が空きすぎてて、その間のトイレはどうしたらいいのか本当に途方に暮れ、姉に相談すると姉は下の世話も出来るので、夜に1日目は来てくれましたが、オムツを見ても綺麗だったと。そのままにしちゃえばいいから9時までほっといていいからと。出来ない自分が情けない。

けど、夜中に心配で窓から父に家を見たのです。1時半でした。

父が寝てる部屋も、食堂も、電気がこうこうと付いているではないですか!!

マシで!?起きたんだ、どうしよう・・・。また倒れていたら・・・。

でも行ってウンチまみれになっていたらどうしようとか、色々想像したら怖くて行けないんです。主人を起こしても迷惑かけるし。

私は自分が本当に鬼だと思いました。

結局朝まで寝ることも出来ず、心臓が破裂しそうな鼓動、パニック症候群になる前に深呼吸を何度もして、朝を待ちました。

最低な自分、もう耐えきれない。私には無理。もう心臓が持たないしノイローゼになりそう。

これを育児放棄ならぬ介護放棄と言うんだろうなと。。。

朝一番でヘルパーさんに電話して、なるべく早く来てもらえないか泣きながら事情を話しましたが、やはり9時近くになると。でも8時半に来てくれました。

夜中の3時に覗いたときには電気が消えていたので、安心はしていたのですが、やはりトイレの床にウンチがいくつか落ちていたらしく、ヘルパーさんは私に帰っていいですよと見せませんでした。

・・・・・・そして、東京に大雪。

次から次へとやって来る度重なる不運。

明日は雪で来れないとヘルパーさんから告げられた時、お先真っ暗になりました。

そして、どうにかならないか懇願しました。

翌朝、ヘルパーさんがふたりで歩いて大雪の中、来てくれたのです。

本当にあの時はお世話になりました。

本当に本当に神様のようで、介護士やヘルパーさんって本当に大変だし、本当に凄いと思いました。

今後のこと

今は犬友さんの紹介で、特別に審査なしでショートステイに入っています。

この先、認知症になりそうだし、回復しても一人暮らしは難しいと思うので、だましだまし有料老人ホームに入れることになり、ここ数日はその見学やら、施設まわりに時間を費やしていました。

父は今のショートステイでゆっくり過ごしています。

帰りたいといいますが、一人で今は暮らせないから、良くなるまでいようねと話して納得しています。

まだまだ問題は山積みです・・・。

 

長くなったのでここまで。

次は介護付き有料老人ホームと住宅付き有料老人ホームのこと書こうかな。

 

追伸、私って冷たい人間だなと改めて知りました。

ただ、犬友さんたちはそういう私の気持ちを理解してくれて、自分たちも同じだと。

なんと私の他に3人も親を施設に入れている人たちがいたのです。

それだけ親の介護をしている人が多いのと、私みたいに苦しんでいる方や、それを理解してくれること、本当に助けられています。

人は一人では生きていけないんだと、改めて実感しました。